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<30周年記念誌より>
十八期会の歩み (発足から現在まで)
昭和56年、男子クラス7組の親しい仲間4〜5人によるクラス会開催の準備が始まり、翌昭和57年の夏に20名参加による7組のクラス会を開催。
誰言うともなく、「男ばかりでは、色気も、話題性にも欠く」との話になり、女性クラスの1組2組に今で言う合懇を申し込む。
各クラスの世話役を決め、翌年昭和58年に3クラス合同のクラス会を開催。35名が集まり、華やかな雰囲気で盛り上がる。
「あの人にも会いたい、昔好きだった○○さんは何所でどうしているのか」等々、いっそ全クラスに呼びかけ、同期会を開こうとの気運盛り上がり、昭和59年8月に第1回の同期会が開催された。
会長に10組の増田、副会長に7組の筒井、5組の古賀、事務局に7組の榎島、12組の内山、1組の原川(旧姓道脇)、永江(旧姓田島)のメンバーで十八期会が正式発足いたしました。
昭和60年が北高卒業20周年にあたるとのことで、大規模な十八期会を開催すべく昭和59年10月に準備委員会が設けられ、20周年に向けての会員集めが始まったのですが、若干の意見の相違が見られ生みの苦しみを味わったものです。
会長、副会長、及び事務局は常設として、行事毎に実行委員会、専門部会、クラス委員を委託し、幅広く参加してもらおうとの考え方で、20周年記念行事では、実行委員長7組柏田、名簿部会10組徳富、行事部会3組近藤、記念誌部会12組林、の布陣でスタート。しかし、当時の十八期会はハガキ代も無い状況で、各幹事のみなさんに1万円の寄付をお願い文字通り零からのスタートでした。
農協会館の会議室で主張と妥協の論議を重ねる内に、中学、クラスのちがった者がいつしか昔から付き合っている親友のような関係になれた事は、大きな収穫であったと思っています。
昭和60年8月11日、卒業20周年記念行事が無事終わり、この時に培われたチームワークとパワーがその後の厄入り、厄入晴、25周年と活動が順調に進んでいくことになったのです。不思議に思うことは行事を実施する毎に新しいメンバーが加わり、新たな個性の発揮によって会自体のマンネリ化を防いでいることです。
東京十八期会(弓張会)は、十八期会発足以前から団君を中心に活発に同期会を開催されています。また、福岡十八期会は、昭和60年11月に発足、田崎、土谷、安部君を中心に活動しております。本年10月19日の福岡北星会総会では、十八期が幹事役と言う事で佐世保から会長始め12名が参加しました。最後尾の4テーブルを十八期生が占め、期別紹介で人数の多さで注目の的でした。
最後に、人生75才とするならば、残りの25年余、十八期会と共にそして若くして逝った26人の仲間の分まで、どう生き、どの様な価値観を求め、自分に何が出来るか時間の許す限り精一杯満足のいく人生を送りたいものです。
事務局長 榎嶋 保雄 (7組)